kumbhglass”jun”

kumbhglass”jun”

2021.1.20

まえがき


 このエッセイは、Reita MORIYA の目線だけで構成しており、登場人物の”jun“には一切の確認も許可も取っていない。もしかしたら本人も怒るかもしれないし、ぶつかるかもしれない。
 ただ、僕の目に映ったものや感じたことを書かずにはいられない衝動に負けただけだ。アーカイブされずに消えるかもしれないこのエッセイは、今日書かないとならない理由がある。偶然にも読むことができた人だけに届けばいいのかもしれない。

 

 茨城、横浜を拠点に活動しているガラス職人の“jun”。彼との付き合いはどれほどになるのか。5~6年の気もするし、10 年以上前から知っている気もする。もともとは横浜の後輩アーティストから紹介されたのが始まりだった。ある日、後輩アーティストと一緒に、横浜にある一軒家を、他のアーティスト達とシェアしながら作品を制作している彼の工房を
訪れた。
 乾いた伸びきった髪と髭、どこか虚ろで透き通った瞳。ネオな雰囲気さえ感じさせる、目を保護するための大きなゴーグル。キャラの尖ったがっしりとした男だ。
 彼はガラス、火、空気と友達のようで、自在にガラスを操りサイケデリックな独特の作品をつくっていた。取り巻きの仲間たちも“いい感じ”の雰囲気を持っていて、僕から見ても、同じ釜の飯を食う大事な仲間なのだというのは容易に想像できた。

 湘南のカルチャーとは何かが違うのだが、彼らは僕らに足りない何かを持っている感すらあった。
 それから暫くして、ガラス職人というカテゴリーの人間と初めて会った僕は、彼と何かできないかと企画書というか、企画書風なものを掘っ立て小屋でつくった。当時は山奥の空き地に、中古で買ってきた小さなスーパーハウスを置いて事務所風に使っていた。灯油ストーブで暖を取るにもすぐ一酸化炭素中毒になりそうなほど小さな空間だった。
 企画については、彼を紹介してくれた後輩アーティストにも話だけはしたものの、実現はしなかった。スケジュールが合わなかったのか、フィーリングが合わなかったのか、そもそも僕が企画をクロージングまで持っていくスキルがなかったのか、理由すらよくわからないまま、煙のようにふわっと消えた。
 その後は sns などで日頃目にするため、お互いになんとなく元気にやってるな、ぐらいの感じで、あっという間に何年も過ぎていった。これ、今まさに自分を見直さなきゃいけない事で、sns という利便性と共に失っている大問題。顔を合わせたり、会いに行ったりという大切なことがおざなりになって、薄っぺら人間関係を構築してしまっている。

 やはり、表情や温度は顔を合わせないとわからない。いうならば sns では何もわからないのと同じだ。
 今でこそそんなことを思えるが、当時は僕自身もこんなに悪いことって重なる?人ってこんなに簡単に裏切る?これさすがに乗り越えるの無理でしょってぐらいの状況に陥っていたため、sns は見てもいなかったのか、無感情にスクロールしていただけだったのか、junは仮想空間の中ですら遠くにいた。
 そんなある日、夏の夕方の雷のように jun の話題が降ってきた。到底良いニュースではなかったため、雷鳴のあとは土砂降りだった。取り巻きの仲間や僕たちは、表舞台から去ったjun を待つことしかできなかった。僕の唯一の情報源は後輩アーティストからの電話だった。
 暫く時間が経ち jun が表に戻ったこと、想像よりは元気だということはわかった。さすがはカウンターカルチャーに生きてきたアンダーグラウンドの戦士だ、と少しだけほっとした。続く後輩アーティストからの情報では、元気ではあるものの、現実的な部分で工房を使えなくなるかもしれないなどの不可抗力が発生しそうだということを聞き、僕はすぐに知り合いに当たって工房を使わせてくれるところ見つけ、一応なにか少しでもと、薄っぺらに動きはした。
 その後、まぁなんとかなりそうだということで、事なきを得た。
 2020年8月。僕はコロナという目に見えない敵が世界中を襲っている中、東京の祐天寺に店を出した。まわりの飲食店も大打撃を受けていたし、人知れず涙を流しながら仕込みをしていた義弟も店をたたんだ。近い存在の職人仲間もコロナにかかり、命の心配をするような状況だった。

 それでも僕らは攻めようと相棒の奥休場と決心した。
これは、社会に出てからずっと敵と戦ってきた僕らからしてみれば、いつもと同じぐらいの苦境だったし、なんならやっとフェアなスタートラインに立った気すらしたからだ。
 東京では職人とはあまり会えず、ビジネスマン的な人や、所謂東京人みたいな人と会う機会が多かった。文化の違いに刺激は強いがなかなか馴染めない、そんな感じだ。
 プレゼン、マーケティング、ブランディング、マッチングなどなど、カタカナばかりの言葉を聞かない日はない。湘南から向かう道中のラジオはeagle810 でご機嫌な洋楽なのに、電波が変わればラジオですら、サウナだパーソナルだとカタカナを並べる始末だ。
 否定しているのではない。ただ、職人として生きてきた僕は、段取り八分、捨て目が命、引き際、止め時、と漢字で育ってきたから馴染めないだけのことで、少しずつ理解するよう努力はしている。
 東京での動き japan artisan cinemas は、文字通り職人と寄り添っていくのが基軸だ。コロナの影響でイベントや展示が減っているなかで、ここで何かできないかと考えたとき、すぐに頭に浮かんだのが jun だった。単細胞の僕はすぐに jun に連絡をし、彼は快く受け入れてくれた。
 2週間ほど経った頃、わざわざ遠く足を運んでくれた jun。相変わらずの風貌を見て嬉しくなった。少し薄暗くなってきた夕方、白い杖をつく jun の笑った顔は昔のままだった。個展の期間も決まり、制作風景の撮影も終え、sns でのアナウンスも始まったころ、jun からの連絡で Twitter がバズッた事を知った。驚いたし、とても嬉しかったのと同時に、素晴らしい作品が瞬間風速にならないことを願った。

 良いことも重なるもので、Yahoo ニュースにまで取り上げられた。今回は良いニュースで雷を落とした jun。個展は雷鳴の後の晴天を待つのみとなった。
 個展の前日、薄っぺらな僕のせいで jun にとても嫌な思いをさせてしまい、不安な気持ちにさせてしまった。馴れない初めての動きにも関わらず、甘かった。ダメ押しの電気トラブルまで起き、事態は最悪だった。
 当日、予定は大きく崩れ、jun やまわりの仲間たちには大変な迷惑をかけてしまったが、朝から一緒に動き、無事にとは言えないが、なんとか個展はスタートした。初日にほとんどの作品がファンの手に渡り、ほんの数日でほぼ完売した。jun が魂込めた作品がしっかりと評価され、大切にしてくれる人たちの手に渡っていくのはとても嬉しく感動的だった。
 個展期間中もあまり一緒にはいれなかったが、大切な仲間や、著名人、一般の方々、多くの人に囲まれている姿をみることができた。少しではあったが、二人きりで話せる貴重な時間に jun はガラスの事、職人について、自分の思いや考え、たくさんの熱い話をしてくれた。
 プライベートはどうか知らないが、職人としての姿勢や作品に込める思いは、言わずもがな半端なものではない。命を削っているが楽しいと言えるのは、まさに本物だ。
 カウンターカルチャーの精神、アンダーグラウンド最深部でメジャーに訴えかける作品を見ながら彼の話を聞けたことで、自分自身の甘さや、薄っぺらさを見直す事が出来たかもしれない。
 今回の映画の 1 シーンを見て、しっかりと襟を正す、もとい、襟のついた服は脱ぎ捨てようと改めて思った。
 飾られたランプたちは、ドリップランプやゴーストランプと呼ばれ、ドロっと溶けて今にも垂れそうな美しい作品。綺麗、美しい、と単に見ていた作品も、日を追うごとに、そしてより深く jun という人間を知っていくごとに変わっていった。
 「一雫の涙のよう。一人の職人の生きた証である作品は、人の心を揺さぶるほど、あまりに美しい。」彼の透き通った虚ろな目は、日々視界が失われている。
 感情的に牙をむく、仲間と笑う、口下手、極限の作品づくり、反動の夜、信頼、裏切り、反骨心、孤独。滲み出る人間臭さが jun という職人の生き様。

 東京の叔父が突然個展に来てくれたと話した彼の笑顔は、少年の笑顔だった。彼の作品は、あなたの日常に寄り添いながらも、非日常を体験させてくれることでしょう。

 

 

知ろうとしなければ、知ることは出来ない。
当たり前にあるものが、突然無くなる。
目の前にいる人と、二度と会えなくなる。
だから、どんな手段でもいいから、
伝えろ。

Reita MORIYA
左矢印『エバンジェリスト』 ー伝えることー 消防車と母子右矢印