2022年。
左官彫刻作品の制作にあたり、作風にまとまりがでてきた頃に自身の思考や技術について振り返ってみた。
2021年。
左官で仕上げたあとに彫刻を施すという作品をつくった。
これが現在の毒器(DOKI)の発想起点、原型になっている。
もともとは鏝を握る人間として、左官仕上げへの抽象感に憧れと不満を抱いていた。
左官とは、基本的に平面へ鏝(こて)を使って材料を塗っていく行いの事を総称して言うことが多い。
もちろん手仕事のため様々な模様やクセがでるし、色での表現や混ぜる骨材によっても工夫が凝らせる。
自分はきっと、その"色や骨材"要するに「他のなにか」に頼る以外の手段を探していたんだと思う。
時を同じくして、左官の所謂骨材という名の粒子や、自分の代表作である藍色から分析する色と光と温度、湿度の関係性。人の視覚構造から植物フラクタルなど、2021年以前の思考と哲学を落とし込む作品から、物理的な要素を視覚化する作風へと変化していった。
勿論それは思考と哲学的要素とは切っても切れない関係のまま存在する。
画像:色香花聞(しきこうかもん)
人間の持つ視覚構造と脳科学的光信号の限界の先を見てみたいと思う。しかしその反面、目に見えないものに思いを馳せる美的感覚も同時にあるのが我儘な人間らしさでもある。
2022年
そんなことを常に考えながら作品作りに没頭する。
植物の"生きる"という従順な振る舞いはなんとも美しく、葉脈や色にはその理由が見て取れる。
デザイン案、反復練習、禅のためのレアプランツのドローイング↓
酒を飲む代わりに、これに没頭しているというのが本音だ。
ただ、一度描くとその植物の事は忘れないしそれぞれに妙な特性があって面白い。
本番の作品では下書きはしない。
"生きる"という振る舞いに下書きはない。
自分のフィルターを通した左官彫刻は、地球で生きる上で身についた身体的行動と意識の言わば固定観念の賜物であり、それをそぎ落とすことは大変困難なことである。
重力や引力との関係性を自分有利に利用するのではなく、重力や引力に自分の意識と振る舞いを合わせ、傲慢な技法(武器)を捨てる。
2023年
時間と重力を技法に取り入れ、「意識」によって仕上げた作品が毒器だ。
-塗らない左官、焼かない陶芸。-
古代ギリシャで水(ハイドロ)と器(アンジェイオン)が合わさりHydragea
紫陽花の語源となった言葉です。
器は、古より人間と密接に関係しています。
今のところ、人間の"生きる振る舞いに必要な道具"とでも定義しておきましょう。
水を運ぶ、月を映す、ただそこに在る。
内なる美しい毒をもつ器は、生きる振る舞いなのです。