77回三軌展 絵画部・平面小作品部門
2025年5月14日より26日まで東京 六本木の国立新美術館 にて開催されました三軌展にて2作品が優秀賞を受賞しました。
副賞として松田油絵具株式会社様よりマツダ賞を受賞しましたことをご報告いたします。
会期中ご来場ご高覧をいただきました皆様には、厚く御礼申し上げます。
生(な)る:
古語辞典では、「生まれる」という意味で使われます。
生す(なす):
古語辞典では、「(子を)生む」という意味で、母が子
を産むことを表します。
この題名について少し触れたいと思います。
「生る」これは、作家活動のひとつの踊り場であろう。
藍、左官技法とい文脈において騒ぎ立て、そして静寂に向かった。
ビートルズでいうところのレット・イット・ビー。
薄暗い工房でずっと見ていられる、作者自身が没入できる愛おしい作品です。
私は作品が完成した後にその作品と対峙し題名をつけるのだが、今回は少し違った。
屋根や壁のない雑踏のなか、研ぎ澄まされた聴覚に飛び込んでくる止められない音。
自分の意識がチリジリになって空中浮遊しないように、足元をきつく結んだ靴紐や、纏った服の肌感覚に頼りながら
うちの工房に通う青木珂月(かづき)。
ちょうどその作品が出来た頃、彼は来た。
私は珂月君の目を見て、呼吸を感じて、工房の空間の中で二人の意識が調和するのを待った。
すっと空気が変わったのを感じて、私は珂月君に聞いた。
「珂月君、そこにある作品だけど、珂月君だったらなんて題名にする?」
彼は裸足のまま、作品の目の前にあぐらをかいて座った。
首を傾げたり、少し後ろに下がったりしながら30分ほど鑑賞していた。
私はそれが5分ぐらいに感じるほど彼に集中していた。
彼は作品を見たまま突然「生まれる」と大きな声で言った。
「生まれる、そうか」と私が呟くと彼は間髪いれずに続けた。
「暗闇のようだけど、深い藍色だから暗闇でもなく、、、。そこにはまだ希望の光もない。光すらないけど、傷口はある」
「光が差すこともできない薄い傷口。ここが開いて希望となりそう」と。
彼は30分のあいだ、子宮の中にいたのか。
私は、そう感じた。
描いている時に感じていた光の影があたる遠い遠い波なのか、眩い光の隙間なのか。
すぐそこにあるのに、遥か遠くに感じた「閃」の正体は子宮の内と外だったのか。
珂月君の言葉が、僕に答えをくれたんだ。
守谷玲太
青木珂月(かづき)―
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7376c8c57abc1de67781e90babfaece22c71651b