『人と人とがもたらすイノベーション』

『人と人とがもたらすイノベーション』

2020.7.9

【一章】意識の変化


 ここ数年、ヨーロッパから革新的な左官塗材が目まぐるしく日本の市場に参入してきました。これはなぜなのだろうか。
 私自身、ヨーロッパの左官塗材を使うことを軸に仕事をしているため、大いに疑問である。
あえて答えるならば、自然発生的なもの。またはシンクロニシティ的に起きた大きな意識の変化だと思います。
 建築家やデザイナーからの提案が入り口だった業界が、インターネットの普及で一般の人々があらゆる情報を得られるようになったため、カスタマーからの要望にプロが応えるといった新しい流れを感じます。
 日々の実務に追われ、仕事というより作業的に業務をこなしている専門家よりは、出来上がりをイメージしながら、それに向かって情熱を注いでいるカスタマーの方が圧倒的に情報量が多いのです。簡単に言ってしまえば、一般の方のアンテナが高いということですね。これには良い側面があります。
 今まで表立って宣伝できる人というのは建築家やデザイナー、ハウスメーカー、工務店という立場にある人たちで、実際の作り手である職人がフィーチャーされることは稀でした。しかしsnsなどを使い、職人自身が職人の立場から発信できるようになった今、カスタマーに届く情報は速度を上げ、より本質的なものとなってきたのではないでしょうか。今では職人とカスタマーが直接繋がることもそう珍しくもないのです。
 カスタマー同様、職人も新しい材料や技術の情報を得ることに多くの時間を使います。これは、早い時間の流れの中でカスタマーや建築家、デザイナーに対する提案力も求められているからです。言われたことだけやる職人より、提案力や知識、スキルを持った職人に価値が求められているのです。
 特に革新的で新しい材料となればなおさらで、スペックしたところで現実にそれが出来なければ無いに等しく。金銭的、時間、労力といった職人の先行投資のウェイトは重いですが、先行投資を惜しまず習得していれば素材がスペックされると同時に作り手もスペックされるという結果が得られます。
 注目すべきは、材料の販売を行う代理店も、まず職人に知って触ってもらうという流れが出来ていることです。確かに材料だけ売れても扱える人がいなければ話にならないわけで、当たり前といえば当たり前の話なのですが、、、。
 技術講習会、情報交換会、事例やリスクの共有、設計士向けの講習会、足を使っての営業活動。代理店さんの企業努力は称賛に値します。そういった背景もあり、角度は違えどあらゆる人々に同時発生的な意識の変化があったのではないでしょうか。
 この意識の変化に大きく起因しているひとつに環境問題があると思います。エコ、リサイクル、持続可能、自然素材、ビニール、プラスチックなど環境に関するワードを聞かない日は無いですね。
 人は十人十色と言いますが、環境にやさしいことって一貫するのは難しいものの、できる限りであればやりたいと思う人の方が多いはずです。一貫するのって個人的には難しいなと思っていて、それぞれ出来ることからという意味では時間軸や状況など、自分ではどうしようもない事を除けば可能だと思います。それこそ私自身も例に漏れず、1967年式フォルクスワーゲンのタイプ2という車に10年乗っていました。タイプ2とは映画や広告でよく見るワーゲンバスの事です。
 それはもうご想像の通り燃費は悪くうるさくて(笑)愛嬌のある可愛い車でした。世の中にエコカーが出てきた時には、まぁよく悪口を言われたもので、その時に少し考えることが出来たのは自分にとってプラスでした。そのエコカーを数十万台つくるのに、どれだけの環境汚染がされるのだろうか。海外で生産された膨大な車を日本に運ぶのにどれだけの煙をまき散らして海を渡るのだろうかと。自分は1967年に生産された車を未だに乗っているのにってね。こんなのは結局答えなんてなくて、最近もどこかで耳にしましたが、経済活動を止めないためとか未来を見据えて長い目で見たらとか。結局のところ、解釈や考え方なのだと思うのです。
 情報蔓延の世の中で、自分が何を信じて生きていくのかがいかに重要なことか。1982年生まれの私は俗に言う”ハイスタ世代”であり、メンバーのYokoyamaKenの書籍タイトルにもなっている『自分を信じないで、だれのための人生なんだ』悩んだときはこれに尽きます。
 時代背景や文明の影響、風土、歴史といった大きなうねり。需要と供給、経済活動とのバランスなど様々な要因が交錯し、現代に生きる人々の感性や思想を刺激し目的達成のための
手段を選ばせます。私がヨーロッパ由来の左官塗材を選ぶ理由は、意匠と機能を併せ持つ革新的な材料だからです。もちろん、日本の伝統的な左官塗材や国産の現行品でも意匠と機能に優れたものはあります。では、何が違うのか。
 まずは強度、在来の左官材は基本的には壁に塗るものであり、床や机など荷重がかかったり、水や汚れに対する耐久性が求められるものへはあまり使われません。私が扱うヨーロッパの左官塗材は多種ありますが、コンクリートより優れた表面強度をもち、材料自身の収縮割れを起こさないもの。下地(既存の素材)を選ばず何にでも吸着するもの。なかには、HACCPを取得していて食品と接することができるものまであります。あくまで機能性の一部ですが、これは実用部分でしかありません。
 意匠については、圧倒的なものがあります。これは実際に見てみないと言葉で伝えることは難しいですが、何とも言えない豊かな表情を見せてくれます。私も初めて見たときは、そのテクスチャーに心を奪われました。それは時に、陰影礼賛を思わせるほど。現代において同じステージにある優れた材料は数多く、選択する側もなにをもって選ぶかというのが重要なファクターの一つです。
 参考に値するのか曖昧であり、少しネガティブな話なので誤解を恐れずお伝えしたい私の体験談にこんなものがあります。
 以前、アウトドア家具で有名なブランドさんからお声がけいただき打ち合わせをする機会がありました。ここでいうアウトドアとはキャンプ用とかではなく、ホテルの庭やゴルフ場などにスペックされる、所謂お洒落で高級感のあるものを指します。打ち合わせ場所に指定された先方のオフィスも、エントランスから家具がお洒落に配置され期待も高まる内装で、家具に対する自分なりの思想や哲学をプレゼンしようと意気揚々、名刺交換を済ませ着席しました。こういった場合、私は相手の話を8割聞き込んで、そこで明らかになる課題を解決するために自分が出来ることの提案を2割で伝えるという具合にしています。しかしながら、今回に限っては相手の話を8割聞いた時点で残りの2割は空白となりました。
 なぜならそれは、私のスキルが必要なわけでもなく、革新的な素材を活かしたコンセプトを打ち出すわけでもなく。むしろ大量生産やロット数によるコストダウンの相談のようなものだったからです。これは別にビジネスの話で言えば何もおかしくないですし、大きな企業ともなれば当然課題となる内容です。私が空白の2割にした理由は、そのブランドの既存製品が海外の労働者によってつくられ、しかもその労働者は驚くほど低賃金で、通常防護手袋を付けて扱うような有害な材料を、素手で扱いつくっていると、、、。担当者は別に悪意があるわけもなく、一服の時のたわいもない会話のように楽しそうに話しました。話している間、目の前にいる担当者はモニターの向こう側にいるかのように声が遠くなり、私には海外でつくられているその光景がはっきりと見えるようでした。
 こんな話し合いに呼ばれてしまう自分自身の隙を反省し、丁寧に挨拶をしてその場は終わりました。先に述べたとおり、実用部分でしかない機能性と意匠。これは手段の一部でしかありません。
 人の幸せを具現化する技術、環境保全に貢献する材料。双方の手段は切っても切れない関係になくてはなりません。環境に配慮した素晴らしい材料は、主となる素材選び、製造過程から実用場所への供給方法、廃棄された後までも考え抜かれたものです。私たち職人は、思想と哲学を持った材料を選ぶ責任があり、技術を持って具現化する喜びを知り、よき思想をもって社会に貢献することが使命なのだと思います。
 人は衣食住について、どんな材料でどんな思想の人がつくって、廃棄された後何処へ行くのかを考えます。私はよき材料と左官技術、思想によって向き合っていきたいと考えます。

 


【第二章】藍と、生きる。


 私が自分の使命として一生懸命行っている仕事に天然藍色の内装や家具があります。ヨーロッパ由来の左官塗材を扱いはじめて2年ほど経ったころでしょうか。自由度の高い材料だけに、イマジネーションを掻き立てられあらゆるプロダクト、プロジェクトをこなしていました。ある日、次はどんなものをつくろうかと自宅リビングでコーヒーを飲みながら考えていました。
 自宅リビングには、個人的にコレクションしている藍染め職人『LITMUS』が染めた生地が飾ってあり、その一つの月暦が目に留まった。いや、毎日目にするし否が応でも視界には入ってくる。それでも、この日はいつになく気になったのです。
 藍染めについてLITMUSの文面を引用しながら少しだけお伝えしたいと思います。古の時代、青色は藍でしか生み出すことが出来ませんでした。貴重であり希有な青色は、それゆえ一部の特急階級の人にのみ許される色だったのです。その藍の青色が時を経て、庶民の色となったのは江戸時代の事。当時広く普及し始めた木綿と藍染の相性が良く、染め重ねることで生地が丈夫になると、生活の中に浸透していきました。「藍で染めたものは虫が嫌う」などと言われていたこともあって、畑仕事のための野良着から、手拭、肌着、座布団、暖簾など生活の多くのものを藍で染めていました。その当時の様子は、藍の顔料によって葛飾北斎や安藤広重の浮世絵に色鮮やかに描きだされています。その青は「ヒロシゲブルー」と呼ばれ、世界で称賛されることになります。
 しかし、それほどまでに深く人々の生活の中に溶け込んでいた藍染めも、明治後半になり、合成された化学染料が流入すると、一気にその存在感を薄めていきます。自らの土地で木綿と藍を大切に育み、生活の中で藍染めを生かしていたわずか100年ほど前の日常の風景は、今となっては想像すらしがたいものです。しかし、かつて日本は藍の青色に満ち溢れていた国であったことは確かな事実です。(引用 LITMUS藍染め)
 今でもジャパンブルーという言葉は身近に存在しますし、藍染めだって一度ぐらいは聞いたことがあると思います。しかし想像するそれは、合成材の青や紺色であり、空や海を思わせる藍色ではないのです。伝統的な灰汁発酵建てという染色技法では、緑色の藍の葉から何か月もかけて「すくも」をつくり、藍を建てる工程で、灰汁を用いて微生物の作用に頼りながら自然発酵を促してできた茶褐色の藍液に生地を入れ十分に吸着させ絞り、空気を含ませながら広げ、その生地を水にくぐらせると藍の青色が出てきます。
 青色を直接染め付けるのではなく、酸化と還元という反応のプロセスから生み出されるという原理なのです。藍の葉を畑で育てるところから、生地を藍色に染めるまでの計り知れない手間があるからこそ、言葉では言い表せないほど、私たちが遺伝子レベルで理解している美しい青が生まれるのです。明治時代に入ったころの時代背景を考えると、西洋の進んだ文化を文明開化を通じて近代化を進めた副作用として、海外の思想や早い時間の流れが入ってきたことにより日本人の「手間」や「美的感覚」が失われていったように感じます。これは、すべての伝統工芸に共通していることで、昭和初期に発行された谷崎潤一郎による随筆「陰翳礼讃」を読めば紐解くことができます。
 この本は、まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもので、藍染め、陶器、漆、木、紙、さらには女性の化粧までも自然光の薄明かりでこそ美しいを前提に物事が考えられていたことを知ります。これも思うに、文明開化で登場した電気によって思想すらが変わっていってしまったのです。
 私自身も電気の恩恵は受けていますし、現代に無くてはならないものだと思います。電気があるおかげで救われる命もあるのですから。ただ私は、副作用で失ったものは本来失うべきものではなく、人生においてとても大切で愛おしいものだったと思うのです。
 いつになく気になったリビングに飾られた藍染めの生地。これだけ美しい色が、なぜ内装や外装、家具などで見る機会がないのだろうか。疑問に思った私はすぐに藍染め師LITMUSにアポイントをとり、話を聞きに行きました。
 すると驚いたことに、過去にも同じような事で数名の相談に乗ったことがるとのことでした。煉瓦自体をつくる世界的に活躍している職人さんが煉瓦を藍染めして外壁に使用したく実際に煉瓦を染めたが、紫外線による影響であっという間に退色してしまい藍色を保てなかったことや、左官職人さんが内装の壁を漆喰で塗る際に藍色にしたかったが同じく退色してしまい叶わなかったことがあったと聞きました。
 傾奇者の私は、この話を聞き闘志に火がつき「絶対に成功させますから!」としばらく熱く語りました。本当に人格者で心の広いLITMUSのお二人は「それじゃあ」といって、大変貴重な琉球藍の沈殿藍(インドや沖縄地方で用いられてきた手法のひとつ。生成した藍色素が容器の底に沈殿した泥状のもの。)をほんの少し分けてくれたのです。
 工房に戻った私は、手元にある国産の左官材とヨーロッパの左官材とで実験的に制作をはじめました。高さ50cm、幅90cmほどの板を半分にわけ、同じ配合で沈殿藍を混ぜた2種類の左官材を塗り、直射日光に当てて経過を見ました。結果、国産の左官材は3日でほぼ真っ白に退色し、ヨーロッパの左官材は見た目には全く色の退色は見られませんでした。
 「やっぱり」。なんとなく行けると思っていた私の直感は的中したのです。漆喰や土でも試したところ、退色はするがふんわり藍色が残る素材もあり経年変化を楽しむ美学的には全然合格点でした。天然素材というカテゴリーでいうと、今回使用したヨーロッパの左官材は高性能アクリル樹脂が数パーセント入っているため100%天然素材とは言えないかもしれませんが、普段身に着ける服や、布団、枕などにも含有する程度の量と思えば問題視する値ではなく、むしろそれによって得る強度などの機能の方に意義があると思います。
 時を同じくして、普段仕事で協業する大工の石渡ようじろうから徳島の永原レキ君を紹介するという連絡を受けました。ようじろうは10代の頃から波乗りを一緒にやっていた友達でもあり、永原レキ君とようじろうもまた、キッズの頃から波乗りを通じての仲間でした。連絡先を聞いた私はレキ君に電話をかけ、レキ君が翌週に予定している代々木公園で行われるイベントEARTHDAYで会う約束をしました。
 当日、39度近い熱で目を覚ましたのですが、直感的になにがなんでも会わないといけないと思った私は、自分の体を引きずるようにして代々木公園に行きました。晴れた代々木公園は気持ちがよく、所見のレキ君は彼の優しさや性格が滲みでたような笑顔で迎えてくれました。実験で制作したサンプルや素材などを見てもらいプレゼンしたところ、大変興味深い話をしてくれました。
 日本中が藍色で彩られていたころに最大の生産地であった徳島を拠点に活動する彼も、海外に出て行ってしまった藍の生産を国内に戻し、生産農家さんが藍の生産農家として生活でき、国産の藍でもう一度日本中を藍色で彩りたいとのことで、藍染めした生地を内装の床や壁に貼ったり、家具に貼ったりしているとのことでした。しかし、退色や強度不足の問題を抱え、それを解消するためにニスを使ったりするが紫外線でニス自体が黄変したり、割れたりする。一番の問題はニス独特のてかりが藍の風合いを失くしてしまうことだと話してくれました。
 私のつくる藍色の左官仕上げは、退色せず割れに強く、ニスの代わりに使用する保護材は石鹸や天然由来のオイルなので、彼が抱えている問題を解決することができました。ヨーロッパでは石像や天然石のメンテナンスに石鹸を使うことが珍しくなく、石鹸の油性分が素材の奥まで浸透し、それを繰り返すことで素材の粒子が飽和状態となり水気や汚れを寄せ付けなくなります。膜を張るニスとは違い素材の風合いもそのままに保つことができるのです。建築といったカテゴリーで質の良い消費を生めれば生産者とのバランスも維持できます。
 私がレキ君を藍染め師と括らないのには理由があります。彼は、海外での経験を経て地元徳島に立ち返り「in Between Blues」という藍染めスタジオ&カフェの代表を務めながら、徳島、四国、日本の素晴らしき文化や魅力を伝える活動をしています。私たちの中で「人間マグネット」なんて呼び名ができるほど、彼は人を引き寄せ繋げ大きな反応を起こします。
 現に私も東京や神奈川で彼と共通につながっている人と何人も会っていますし、ご縁も結んでいます。彼は藍という素晴らしい文化の伝道師でありながら地域や分野の境界を超え、限界のない社会貢献をしているので、藍染め師という言葉では括れないのです。人々を魅了する青。日本に限ったことではなく世界中の人々を魅了し続けています。モロッコの青の迷宮シャウエン、マレーシア・ペナン島の世界遺産ジョージタウン内にあるブルーマンション。絵画の世界でも「青いターバンの少女」で有名なフェルメール・ブルー、芸術家ではイヴ・クラインのクラインブルー、、、。機能面でなのか、古代エジプトのミイラが包まれていた布に藍染めの糸が使われていたとも、、、。
 私も青に魅了された一人として自分にできること、自分のフィルターを通して具現化できるもので、現代に生きる青の表現者でありたいと思います。今まで不可とされてきたものが、伝統技法と革新的な材料で可能となることは素晴らしいことであり、私はこの素晴らしさを独占ではなく、文化にするべく藍左師(あいさし)モリヤレイタとして鏝藍(ばんらん)協会を立ち上げました。貴重な藍の材料はきちんとした商流をつくりったり、最低ロットで責任を持った仕入れをしたりもありますし、協会員(同志)を募り情報共有や交流を深めることで、革新的なものを世の中に深く広めていく必要があるためです。
 なにげない毎日が藍で彩られ、愛に満ちるために。

 


【三章】イノベーション


 今まで交わらなかった人が交わる、今まで出会わなかった素材が人を通じて出会うことによって起こるイノベーションは、より良い文化の発展となり、人々の生活を豊かにすると思います。私は、左官という伝統技法を用いて、自分というフィルターを通し表現したり、具現化することで『思想』を伝えていくことが仕事だと思っています。それが私が出来ることだと信じています。
 マテリアル(素材)が出会い、革新的なものが生まれる。これは遠く昔から起きていた事ですが、意思や言葉を持たないマテリアルが出会う背景には、人の出会いがあります。
 先日、イタリアの鏝(コテ)を扱うブランドCO.MEから鏝のプロモーション用に動画の依頼がありました。せっかくのグローバルな機会なので、私のディレクター奥休場さんと、画家の田中ラオウさん、ヒューマンビートボクサーのTATSUYAさんにご協力をお願いしました。これだけのメンバーが揃うとやりたいことの構想はかなり膨らみましたが、今回の目的である鏝のプロモーションに集中し構想を練りました。
 以前、私の所属するクリエイティブチーム「kamihitoe」でミーティングをしている時に、壁を対象にするアーティストが合法的にアート出来たら面白いという話があり、従来ストリートに存在する壁を私が空間内に制作するという案が出たことがありました。ここからイマジネーションを得て壁画のキャンパスを制作し、田中ラオウさんにCO.MEのブランドロゴでもある牛を描いてもらうことにしました。
 使用したマテリアルは、今回の企画を繋いでくれたコバヤシ産業が日本で総代理店を務めるイタリアの左官材「オルトレマテリア」、鏝はCO.MEのbianko。この鏝の特徴は、薄い色味の材料を塗りつけて仕上げていく際に起きる金焼けが起きないので、黒ずんだりせず仕上げることができます。biankoの特徴を伝えるべく白い壁キャンパスをつくり、その上に田中ラオウさんがアクリルのブラック一本勝負で、躍動感溢れる今にも飛び出しそうな牛を描きました。
 今回の企画で私たちが得た最も大きな収穫は、オルトレマテリアを使い左官技法で仕上げたキャンパスは和紙や水彩紙に描く時のように、滲みやぼかしの表現が出来るということでした。私はそれにまつわる知識が無かったので、田中ラオウさんから聞いて初めて知りました。逆に田中ラオウさんも、今回の壁にそこらへんの期待が薄かったため違う技法で考えており、絵のテイストやクオリティを違うものを想定していたようです。
 これこそが人の出会いでこそ生まれるイノベーションであり、マテリアルの出会いです。無論、物語はここからはじまるわけです。私が使用するオルトレマテリアは既に製造過程から実用時、廃棄された後のリサイクルまで考えられた材料なので、日頃余った材料は密閉しておくことで最後まで使えるのですが、調色した材料が少量余った時などは、次の出番がいつになるのかわからず保管されています。そこで、この出番待ちの材料を使い壁キャンパスをつくり、田中ラオウさんに提供し絵画制作に使ってもらいます。壁キャンパスの下地となる木材は家具製作時に発生する端材を使用します。
 この循環を生むことで、持続可能でありグリーンライフをロジカルに考えることができます。さらにこのプロダクトは本来交わることのない人々が交わり、人と人を繋いでいく役割も担っています。木材を切り出し家具をつくる、そこで発生した端材を利用し余った左官材でキャンパスをつくり、画家がアートを描き、人々の空間に飾られ人生を豊かにする。

 

 想像しただけで幸せな光景ではないでしょうか。

Reita MORIYA