philosophy 哲学

philosophy 哲学

2021.10.23

10-23-2021

このエッセイは自分の忘れっぽい、いや次の情報が入ってきて薄れてしまう前に書き残しておきたい。

感覚としては理解できている。

理解というより感覚を感覚のまま捉えているのかもしれない。

自分のつくるものが、多くの経験から技術として成熟してきました。

しかし、その反面なぜそのようになったかという理由は自分でも具体的な言葉で言い表すことが出来ません。

自由という人間が成す業が技術とするならば、自然という人知の及ばないものを感覚としてありのまま捉え表現したという事なのかもしれません。

私は性格上、こうしたらこうなるなどの政策的なことが苦手であり、素直な気持ちでしてきたことが自然とそうなるといった具合だ。

作品づくりに没頭している時は、自分と向き合うある種の瞑想で、飲食もせずに10時間近く工房に籠っていると周りは心配してくれるが、私にとっては幸福な時間なのです。

左官で仕上がったところから、下書きなしで彫刻していく。

その連続する自然な動きの中で、その瞬間に気が付くことがたくさんある。

 

植物や花がそうなっているのはこういうことか。

枯山水はきっとこうして生まれたのではないか。

自然を人間の視覚世界だけで表現するには無理があるな。

紫外線の見える鳥の世界はこうであろう。

といった具合です。

 

自分と向き合う時間(作品作り)が長ければ長いほどに真理というものが見えてきます。

 

コモンズ投信、渋沢健会長とのご縁から社会起業家フォーラムにてスピーチさせて頂いた。

渋沢栄一さんも藍、ヨーロッパという点では私と共通するところがありますが、私が好きなのは彼の言動には怒りという感情が徳としてあることです。

怒りとは負のイメージではなく、人々が経験からしか物事を捉えられず、課題を解決できないことを解決へと導くとても重要な感情だと私は思います。

経済の父と呼ばれる渋沢栄一は、藍玉からスタートしていますがあらゆる事業と功績を残しました。

職業を聞かれてもさぞ困ったことでしょう。

しかし、これは渋沢栄一が経験からのラベリングではなく、物事をありのまま捉える感覚に優れていたからではないでしょうか。

「知情意」という教えは、まさに渋沢栄一の人としての素直さを表しているように思えます。

 

私は、江之浦測候所へと行きました。

これは自分意志ではなく、その時私を取り巻く人やあらゆる事象がそうさせて行くことになりました。

江之浦測候所は私のしている事、思想や哲学を視覚で見せてくれました。

言葉での表現は難しいですが、私がしていることは私のためであり人間のためになっているんだと認識できました。

こんな感覚的なことを人間のわかるように表現している人がいることに驚き、安心しました。

杉本博司。その人です。

屋内なのに突然目の前から風が吹いてきたような衝撃、それは

青天を衝け

「なんでここに。」

杉本博司さんが題字を担当したと知ったのは後のことでした。

Old Is New 新素研 の中で彼はこう語っています。

私の職種は私が決めるのではない、私に接する人が私の職種を決める。いちいち面倒なので肩書は最大公約数的に現代美術作家ということにしているが、違和感は残る。どうやら私はどの職種にとってもプロフェッショナルではないようだ。それよりもプロにならないことによってのみ見えてくる地平から物事を見てみたいという野望が私にはある。しかしそれは百戦錬磨のプロからすれば素人の片手間仕事と見えるだろう。私はそう見えない工作を仕掛ける。それは私の批評精神の賜物なのだろう。-------------------------------

私は近代社会に生を受け、その中で育ったのだが、どうしたわけか近代以前の人間の営みに関心がある。

電気のない時代、人間は夜をより神秘的に過ごしていたと思うのだ。

 

なんとも心を揺さぶる言葉ではないか。

この言葉に添えられたブレゲンツ美術館での能舞台の写真を是非見てほしい。

電気のない時代の美的感覚は私も常に心掛けていて、強い関心がある。

何度も繰り返し言ってきたが、私の美的感覚の根本は谷崎潤一郎の「陰影礼讃」に影響を受けている。

前半の言葉は正にラベリングをしない姿勢の表れであり、そうなってくると青天を衝けの題字を担当するのはごく自然であり、

それを決めた人もまたそうであろう。

 

今朝、ぱっと開いた本に「イマヌエル」という言葉があった。

光の方の言葉であったが、そこからイマヌエルカントの哲学に行き着いた。

カントの哲学について松下政経塾の卒業生、井桁幹人さんの塾生レポートがある。

その中の言葉を紹介してこのエッセイを終わりたいと思います。

 

なるほど、道徳「徳」という文字は分解すると「行う、行動する」という行ニンベン、「直、素直」という右上の部分、そして右下の「心」となる。つまり「素直な心で行動する」と読むことができる。

 

Reita MORIYA

 

 

 

Reita MORIYA